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私の子供の頃の時代には・・・ [バレエ]

久しぶりにバレエネタを。
最近の若い日本人バレエダンサーは男女問わず世界各国で活躍している人が多くなってきました。
喜ばしい事と共に羨ましいとも感じております。

まず掲げるとすれば海外に安価に容易行けるようになった。
インターネットが発達したので情報もつかみやすくなった上、海外の有名な先生を
呼び寄せたり海外のバレエ学校にも入学できる道が広がったというところでしょうか?

私の子供の頃にも海外のバレエ学校へ留学している人たちもおりましたが大抵はお金持ちの
お嬢様たちでしたね。
そもそも、バレエはお金がかかるのでお金持ちのお嬢様が習うものだという一般常識。

じゃ、なぜに一般庶民の私がバレエを始めることが出来たのかというと・・・

小学生の頃TVドラマ「赤い靴」が流行っていました。
勿論、バレエドラマです。
主役は牧阿佐美バレエ団に在籍されていましたゆうきみほさんでした。
本物のバレエダンサーが踊られるのでそれは素敵でした。
小学生が買う雑誌にも特集が組まれていました。
学校でも友達とバレエごっこをやっていたくらい流行っていました。

そんなこんなをしているうちにバレエを習いたいと思うようになっていましたが
その頃はまだバレエ教室も少なくごっこ遊びで満足していました。

が・・・あったんですよねバレエ教室。

近所に

ある時、町内を歩いているとレオタード着て歩いている女の子が見えたんですよね。
後を追いかけました。
そして、見つけましたよバレエ教室。

「中川万里子バレエ研究所」

子供の頃のバレエ教室名は「~研究所」とつけているところが多かったです。
今はこの教室も「中川萬里子バレエスタジオ」に名前が変わっていますが。

そしてなんだかんだと母親の反対を押し切ってバレエを始めることが出来ました。
(実は父親は大賛成でした。一人っ子の娘なので甘々でした)

楽しかったです。

今もですが(笑)

時代と共にバレエが段々に庶民化してゆきバブルの最盛期には猫も杓子もって感じで
女の子はバレエを習い始めましたね。

バブル以降海外に旅行に行くのも徐々にハードルが下がりバレエ海外留学に行く人も
増え始めました。

しかし、やはり留学は私にはハードルが高かったです。

情報も今ほどではなくそしてまだまだ留学費用及び旅費もたかく・・・

一番のハードルは、その頃の先生が言っていた

「日本人はバレエ向きの体系ではないのでどんなに努力しても欧米のダンサーの様に踊れない」と。

「基本のアン・デオールもきちんと出来ていない。」

という呪文の言葉を頭に刷り込まれていたことですね。

いまじゃ、えーって感じですが・・・

まだまだ、バレエに関する情報が少なかった時代です。

誰が悪いってわけでもなく生まれたのがちょっと早かったってことですよね。

なんで、ン十年バレエを続けていていまだに自分の踊りに納得できずもう少し出来るかもと
期待をもちつつあと1年、あと1年って思いながら頑張っているんですよね~。

だから、海外のバレエ学校に留学してそのまま海外のバレエ団に入団してダンサー業を
仕事にして生活している人たちが羨ましくて仕方がないです。

いいなぁ。


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